「まことの保育」課程 序文
日本の保育や教育、こどもを取り巻く施策等は、時代とともにさまざまな変遷を重ねています。その中にあって、「まことの保育」は一貫して、一人ひとりのいのちを敬い、その思いに寄り添うことを大切にしてきました。また、保育は環境を通して行われるものです。阿弥陀さまに見守られているぬくもりに満ちた世界では、安心して挑戦と失敗を重ねることができます。失敗するからこそ気づけることがあり、新鮮な問いもうまれる。そのような土壌だからこそ、こどもも保育者も保護者も、ともに育ちあうことができる。つまり「まことの保育」では、「こども主体」はもとより、すべてのいのちが輝く「いのち主体の保育」をめざしてきたといえるでしょう。
この保育課程に掲げた各ねらいの主語は「こども」です。ここでは「こども」とは、阿弥陀さまの願いの中でともに育ちあう、大人もこどもも含めた“仏の子”をさします。本課程は、保育者もまた願いの真っただ中にある「こども」であるという観点を大切に編纂されました。
本課程は、各園、各現場での保育内容を規定するものではありません。これまでの自園の取り組みを継承しつつ、自由に本課程を活用していただきたいと思います。その道程で、保育者一人ひとりが、保育を通してこどもと自分自身を見つめ、いのちが響きあう新たな「まことの保育」環境を生みだしていかれることを願ってやみません。
「まことの保育」課程
あみださまをおがむこども
ありがとうといえるこども
生かされていることを知る。
おはなしをよくきくこども
なかよくするこども
「まことの保育」課程の願い
この保育課程は、こどもたちに対して理解や成果を求めるものではありません。もちろん、保育者がこどもを評価するための指針でもありません。保育者自身のものごとのとらえ方や考え方、こども観等を問い直す柔らかなフレーム、保育者(わたし)のための羅針盤として読み解いてほしい。そして、全国の仲間と、こどもたちへの願い、いのちへのまなざしを共有したいという思いから、数年の推敲を経て編まれてきました。「浄土真宗の生活信条」に基づく「まことの保育の4目標」の形は踏襲しつつ、いわゆる「こども主体の保育」の実践にも示唆を与え得るものとなっています。環境やジェンダー、人権、貧困、平和といった課題に対して向き合おうとする姿勢も盛り込まれました。
この保育課程について原理委員会で議論を重ねる中で、親鸞聖人がそのご生涯を通して示してくださった、激動の現実社会の中で自らの生き方を問う姿勢が、今を生きるわたしたちの胸に響いてきました。それは、これほど変化の多い社会にあって、「まことの保育」の精神が古びるどころか、現代的な説得力を持っているという発見でもありました。全国の「まことの保育」を志す保育者のみなさまに、ぜひその新しさ、現代性を味わっていただきたい。なにより、保育者も「仏の子」の一人として、新たな視点で保育を見つめ、自分自身の中に沸き起こる問いに向き合ってほしいと考えたのです。なぜなら、そうした保育者一人ひとりの問い、一つひとつの保育実践への探求が、「まことの保育」そのものだからです。
地球上では今もなお、戦争の惨禍が絶えず、虐待や差別は止まず、貧困と飢餓が進行し、環境破壊が異常気象を創り出しています。しかし親鸞聖人は、そのような状況の中でも阿弥陀さまの光に照らされ、力強く生きる知恵を教えてくださいました。誰一人見捨てることなく、いのちを尊び、あたたかく慈しんで見つめておられる阿弥陀さまの光の中で、すべてのこどもと保育者そして保護者が、まよい、ゆれながら、おなじ人間同士としてともに歩み、ともに育ちあう。そんな「まことの保育」の願いが、みなさまの毎日の保育にしみこみ、こどもたちに受け継がれ、真に平和な世界を生みだす根っことなるよう願っています。
この課程の主語は、こどもであると同時に保育者(わたし)自身です。未来をつくる方々と向き合う保育者という仕事の価値、その愉しさ、唯一無二性を、誇りに思っていただけますように。